"寿命1年"は嘘じゃない②~Re; I am~
はじめに。
僕の想定よりも遥かに早くJ1到達しました。
9月末にJ2昇格だったので所要時間3ケ月半ですね。
これと同時に全国ランキング復帰。ふおお!
今回のサブタイトルはEXMB民にはお馴染みのガンダムUC6巻エンディング「Re; I am」から。
カタルシスあるよな。
休止前連載企画第一弾は、ずばり"GN電池とはどういうヤツだったのか"。
エージェントwikiなんてものもできましたが、山梨支部においてゲーマー遍歴みたいなのは書いてなかったはずなので、それをやろうと思います。
・2006年春~2011年夏:Magic; the Gathering(ガチ期)
スタンダードとリミテッドを中心にプレイ。MTG的には「神河~ラヴニカ期」から「アラーラ~ゼンディカー期」に相当。
白や緑が高すぎた(《タルモゴイフ/Tarmogoyf》現役期間!)というのもあって、青と黒ばっかりだった。
TCG的な思考回路がコントロール寄りになってしまったのはこの期間のせいに思える。
最終的には1枚10000円した《精神を刻むもの、ジェイス/Jace, the Mind Scupltor》もちゃんと4枚持ってたけど、当時学生だから「安いデッキを組む」というのに腐心していた覚えはある。
進路的な岐路に立たされた際に、両親から禁止令が出て引退を余儀なくされる。
2013年秋に、リアルの環境が変わったのもあってMagic Onlineに復帰。以降継続してプレイ中。上海滞在中のメインウェポン(予定)。
TCGの基礎、構築力、レートの概念など、COJでも使えるモノを数多く残してくれた。
・2006年~現在:ガンダムVSシリーズ
ゲーセン民になるキッカケになった作品1。
友達に連れられて「連ザ2」の筐体に座ったのが始まり。本格的に頑張り始めたのは「NEXT」から。
「EXVS」から"GN電池"をPNとして使いだすようになり、これ以降ほぼ全てのゲームで使用。
「EXFB」以降はプレイ頻度が落ちるものの、現在もプレイ中。
集団戦ゲームの恐ろしさを教えてくれた作品。
自分のミスで自分以外に不利益を被る人間がいて、それはたいていの場合取り返しがつかないというのは、本当に恐ろしい。
・2006年夏~2010年:三国志大戦
ゲーセン民になるきっかけになった作品2。ⒸSEGA。
「Ver2.1~Ver3.5」ぐらいまでプレイ。
使用勢力的には3で言うと「呉=漢>魏>>>蜀>群」。
うわあ、MTGと同じで待ちゲーですね。たまげたなあ。
2のUC曹皇后が好きで無限回収してたっけなあ。
「ゲーセンで身内を作ると楽しい」ということを教えてくれた作品。
プレイ頻度が下がったのはその身内に会う機会が減ったのが大きい。
2015年1月で稼働終了。本当にお疲れ様でした。
・2011年~現在:ボーダーブレイク
ⒸSEGA。
三国から遠ざかり、ガンダムも人がいない、そんな時にふと始めたらドハマリしてしまった緑の沼地。
始めてすぐにVer2.5へのアップデートがあったのを覚えている。
また山梨への移住によってホームが変わったので、旧身内への生存報告やドヤ顔目的も兼ねてニコ動に動画投稿したりもしていた。
「GNボーダーブレイク」シリーズは最大再生数がギリギリ1000行くぐらいのモブ作品。最高S4の重火力。
Ver3.5あたりから下2作品のせいでプレイ頻度が減るも、なぜかここ最近はモチベーションが再燃。動画は作らないけど。
集団戦の恐ろしさ、役割分担の重要性などと同時に、
アーケードゲームをやる上でのTwitterなどのインターネットの活用はプラスになるということを教えてくれた。
ただ、何よりも大きかったのは、ゲームに対して、向上心を持って本気で取り組むようになったのは、この作品のおかげだと思う。
・2012年~現在:ガンスリンガーストラトス
甲府移住後、盛り上がっていたゲームに友人の勧めもあって参加。
ホームの店員に全国ランカーが存在し、店舗対抗戦イベントなども積極的に行う"聖地"だったこともあってか、多くの友人に恵まれ、今もその縁は続いている。
集団戦の恐ろしさもそうだが、「味方への感謝」を知った作品。
店舗イベントだけでなく、さまざまな場面において"ゲーセンでの友人"というのが楽しいということを知ってしまった。
・2013年~現在 CODE OF JOKER
ここから本編。バージョンごとに区切る。
《Ver1.0》
山梨での稼働は1週間遅れだったが、たまたま実家の千葉に帰っていたのでほぼ稼働日に開始。
登録地域を山梨と千葉で迷うも、「山梨の方が上に行けそう」という邪な理由で選択。結果的に、これが功を奏する。
《追い風》というカードが根本的に好きになれず使っていなかったが、【ユーベルジャンヌ】などでA5に到達。
また当初の狙い通り(?)に山梨県1位を奪取。といっても当時はAランク3人で拮抗した状態にあった。
《Ver1.0_EX》
"全盛期意気投合&ライトステップ"の有無を問わず、【追い風KP毘沙門】全盛期。
というか1強環境。OCKPが着地したら阻止する手段がどこにもない。
あまりにも1強環境すぎてプレイするのを控えていた時期。山梨1位も譲り渡した。
《Ver1.0_EX35》
GN電池というゲーマー史上、最大の転機。
猛威を振るう【ジークブック】、その創始者ヒッキー☆氏の動画。
【COJ】沙夜ちゃん大好き勢のCODE OF JOKER 3 【A1】 ‐ ニコニコ動画:GINZA
この動画の対面の星君、私なのです。
動画のものと細部は変わっていますが、環境最終形がこんな感じだったと思う。
相手が手札を多く維持する(=盤面に出す数が少ない)なら単体除去+意気投合でドロー、
相手が盤面にいっぱい出す(=手札が少ない)なら毘沙門で流す。
中途半端な手札枚数ならジャンプー+意気投合でアド取れる、という"ハンドバースト"青黄コントロール。
"連勝中の星君とかいうレアキャラ"というコメントの通り、実は環境初期にめちゃくちゃ勝ってた。
【ジークブック】系統以外にはほぼ有利だったと言ってもいい。
問題は、このバージョンが【ジークブック】1強であることなんだけど。
「この星君僕ですピースピース」とか言って売名行為を繰り返した結果、
東京~神奈川のランカーがフォローしてくれるようになって、僕のCOJ人生とTwitterライフは明らかに変わった。
最終的には【ジークブック】に勝つためにこれ以外のデッキを握ってたことが多かったけど、
今考えても僕の最大の転機はこのデッキの開発だったし、ヒッキーさんに微妙に頭が上がらないのも"拾ってくれた恩"みたいなのをどこかに持ってるから。
この時期にABルーパー脱出はおろか、100/100(現J3Cデッキ相当)のA5を抜けてA4到達。
山梨県1位についても独走状態に入り、全国ランキングにも載るように。
《Ver1.1~Ver1.1_EX1》
ここに詳しい。
VR/SR/PR禁止イベントと"ゼロックス理論" - COJ山梨支部
0CPドロートリガーとサーチャーユニットの大量増を受けて、
「ゼロックス理論でデッキは作れる」と叫んでいた時期。
割と勝ってたし、そのうち究極のゼロックスデッキである【珍獣】が環境を支配するのだから間違ってもいなかったような気はする。
【珍獣】が環境を支配するにつれて、使うようになったデッキがこれ。
奇跡的に画像が残ってた。ジョーカーは3枚回収。
当時マーヤと並んで珍獣キラー筆頭であったラグエルを投入した"猿を狩る猿"。
これを中心に、Ver1.1_EX1で全国51位まで到達。現在までの自身最高順位。
山梨1位としての悲願であった"全国47位"到達直前でもはや伝説とも言える大雪害に襲われ、ゲーセンに行けない期間が続いて90位近くまで落ちてしまうのだが。
《Ver1.1_EX2》
ここで「COJ山梨支部」開設。
ランカー周囲のブログブームに乗っかった形。この"第一次ブログブーム"には
などと強烈な面々が揃う。このあたりは"同期"と言える。
ちなみに"第二次"はR&Dサポーターズ開設時で、"第三次"はR&Dでのステッカー配布時。
以後は過去記事とか読むとだいたいわかるので雑にランクだけ。
Ver1.1_EX2の終了時はA1で、Ver1.2はSS1スタート。
《Ver1.2》
本当にいろいろ使ってたなあ。
7/19に、全国ランキングから陥落。半年以上は全国2桁を守っていたようだ。
ランキング復帰が1/18なので、そこからさらに半年かかっていることになる。
《Ver1.2_EX》
9月末にJ2昇格。
このバージョンはあまりデッキを変えてなくて、
アザゼル修正までが【赤黄ミッドレンジ】、アザゼル修正後が【蒼炎ヒトミ・プロメテウス】が中心だったと思う。
B【赤黄ミッドレンジ】も僕の中では非常に思い入れのあるデッキなので、シリーズ次回の記事のネタにしようと思います。
《Ver1.3》
査定緩和もあるが、第一~第二シーズンの【魔導士】で+15000近くを叩き出し、
第三~第四シーズンの【海洋忍者】で勢いそのままにJ1昇格。
比較的得意な環境と言える。
【海洋忍者】の現行シーズンタイプがこちら。
六花2ptだった前シーズンで生まれたデッキだけど結局今季も強い。
・クロウテングは意外なところからスピムでの打撃回数を作り出せる
・虹キャンクロウテングは【黄単祈り御供】相手にそれなりに有効
・【珍獣】相手のケロルドハンゾウ素出しは対処されにくいのでオススメ
あたりがこのデッキでの"異物"の使い方。
【海洋忍者】、ならびに【海洋】系統も次回のネタにしようと思います。
《2015/1/20現在の総合戦績》
思えば遠くへ来たものだ。AP10万は本当に感慨深い。
《COJが僕に与えてくれたもの》
端的に言うと、「強者としての誇り」だと思う。
自分で自分を卑下することはしないようにしよう、とVer1.0_EX35で"ランカー"になってから思ったのだ。
当時"チュートリアルライン"や"モブSランカー"なんて単語が流行ってて、それが全国20位付近にあったりしたんだけど、
それにカスリもしない自分が間接的にディスられた気もした。
そんな自分よりも下にもっと多くのプレイヤーがいて、そいつらはどういう扱いなんだろう、と思った時に
どう考えても"上位3%"には入ってる自分を否定することは、もっとたくさんの人を否定することになるんだろうと思って、やめた。
ここまでやりこんで、かつここまで上に来ちゃったゲームはCOJが初めてなんだけどね。
僕がTLでもブログでもどこかしら「偉そうにしている」のはそういうことだよ。
僕は自分が強いと思い込むことで、もっと上を目指す活力にしようと思った。
僕が僕を弱いと言うことで気分のいい人と悪い人を考えた時に、後者の方が多そうだった。
『私はまだ、自分で自分を弱者と認めていない』 ~ミリアルド・ピースクラフト~
"勝者になってはいけない機体"のパイロットから名言を借りて、今回は終わり。
文中にもありましたが次回のこのシリーズではデッキ構築の話をしようと思います。
僕のAPをガッツリ増やしてくれたB【赤黄ミッドレンジ】とB【海洋】、そこから考える"デッキを弱くする方法論"というテーマです。
・・・Sデッキが流行ってるのにBデッキ構築論っていうのも、なんだかなあ。